2011/08/29

『情報の技術』のPDFは何部売れたのか 日刊サイゾー編

『情報の技術』のPDFは2010年7月時点で10万部売れたとされている

日刊サイゾーに次の記事がある。

"知の暴君"日垣隆氏がサイゾーに降臨 Web3.0時代を語る!
http://www.cyzo.com/2010/07/post_5039.html

この記事内に、次の記述がある。

――日垣さんの著書は、時代を経ても読み続けられる"寿命"の長さが特徴です。『情報の技術』(97年刊、朝日新聞出版)を最近PDFで配信したところ、10万部以上売れたお話は有名です。

この『情報の技術』とは、次のページで購入できるPDFファイルのことである。

電子書籍版 情報の技術
http://www.gfighter.com/00042/20100110001359.php

また、日刊サイゾーの当該記事の公開日は2010.07.21となっている。

gfighter.comではひとつのPDFを1000部/月しか売れない

上記の「電子書籍版 情報の技術」のリンクを開き、商品をカートに入れるとショッピングカートの画面が表示される。その画面には「- secured shopping cart by E-SHOPSOLUTIONS.COM -」と表示されている。URLもe-shopsolutions.comである。つまり、このサイトは注文・決済にe-shopsolutions.comのサービスを使っている。このサービスの規約は次のページに記載されている。

【サービス規約】
http://www.e-shopsolutions.com/kiyaku.html

このページを見ると、次の記述がある。

このサービスの対象とするホームページは、個人や中小規模の会社が開設するものに限ります。月1,000件以上の注文があるサイトでのご利用はお断りします。

さらに、ショッピングカートの画面で商品の注文数を2以上の数字に変更し、「修正・再計算」ボタンをクリックしてみると1に戻る。これは、gfighter.comでPDFを注文すると、URLが送られてきて購入者はPDFファイルをダウンロードするためである(※1) 。つまり購入者が2つ以上注文する意味がないため、注文数を2以上にして注文することができないようになっている。
このサイトでは一回の注文で1部のみ注文でき、注文は月1,000件までという制限があることになる。従って、『情報の技術』を月に1000部以上売ることはできない

『情報の技術』の販売開始時期は2010年1月

前述の「電子書籍版 情報の技術」のURLを見ると、ファイル名が20100110…php となっている。つまりこのページは2010年1月10日に作られたということがわかる。(※2)
また、サイトから見ることができる以下のメールマガジンのバックナンバーに、次の記述がある。

第332-0号(1月24日配信)
http://www.gfighter.com/00302010/20100124001362.php
【6】私の代表作『情報の技術』について

第332号(2月1日配信)
http://www.gfighter.com/00302010/20100201001366.php
◆電子書籍『情報の技術』(2,650円→特価1,500円)

つまり、このPDFの販売が開始されたのは2010年1月末であることがわかる。(※3)
なお、上記メールマガジンの全文を確認したい場合は、メールマガジンの購読契約をすればバックナンバーを全て見ることができる。

期間内に何部売ることができたか それは7000部

「電子書籍版 情報の技術」の販売開始から、日刊サイゾーの記事が公開されるまでに、それを何部売ることができただろうか。

  • 「電子書籍版 情報の技術」の販売開始は2010年1月である
  • 日刊サイゾーの記事が公開されたのは2010年7月である
  • システムの制限により、販売部数の上限は1000部/月である

この3つの条件より、それは最大7000部である。

要点と疑問点

この件についての結論と疑問点は次の通りである。

  • 日刊サイゾーの記事ではPDFが10万部以上売れたとあるが、システム上7000部までしか売ることができない
  • 日刊サイゾーは10万部以上売れたという情報をどこから入手したのか
  • 10万部という数字は誤植ではないのか
  • 10万部という数字が正しいならば、どうやってそれを販売したのか

このことについては日刊サイゾーに2011年8月1日に指摘をしたが、8月28日現在、記事は訂正されておらず、返信もない。





脚注

(※1) 送られてきたURLのサイトにはアクセス制限はなく、PDFもDRMなどで保護されてはいない。
(※2) 現時点(2011年8月)で当該のWebサーバーはWindows 2000 Server, IIS 5.0, PHP5.1.4, Movable Typeでシステムを構築している。
(※3) 次のようなページがあるため、販売時期と告知時期は必ずしも一致しない可能性がある。しかし、期間を変更して計算しなおしても10万部を超えることはない(10万部販売するには8年かかる)ため、主旨は変わらない。

電子書籍版 情報の技術
http://www.gfighter.com/00042/20090702003343.php

その後の調査により、『情報の技術』のPDFの販売開始時期は2009年10~11月であることがわかった。メールマガジン321号(2009年6月8日)及び325号(2009年10月6日)に絶版本PDFの販売予告が載っていること、およびWaybackMachineに残っている最古のキャッシュが2009年11月3日付であるためである。

これにより、上記期間中に販売可能な部数はシステム上(契約上)最大1万部となるが、問題は10万部の真偽であるため、記事の主旨は変わらない。

参考資料

小飼弾「私の友人に日垣隆(ひがきたかし)さんというライターの方がいるんですけど、ただのPDFファイルを1万部売ったんですよ。」― 慶應義塾大学SFC研究所 プラットフォームデザイン・ラボ主催シンポジウム「電子書籍ビジネスの未来」(2010年4月13日)USTREAM中継アーカイブより
http://www.ustream.tv/recorded/6153012/highlight/219294

「電子書籍の衝撃」の衝撃 - 小飼弾(2010年4月8日)
http://agora-web.jp/archives/978645.html
※「日垣隆氏は「単なるPDFファイル」を一万部以上売ったそうです」という箇所が日垣氏のツイートにリンクされているが、リンク先は存在しない。

2011/08/24

女川原発5メートル発言

日垣隆氏は女川原発の立地について以下のような発言をしている。

facebookでの発言

○田 秀× 女川原発建設時に、ご出身の東北大学の代表として東電の社長にまで直談判されていたなんて、なかなかそんな学生いないですよ!日垣先生はお若い時から本物のジャーナリストですね!因みに直談判の際、東電社長はどういう反応だったのでしょうか?

日垣隆 先日土曜日の公開対談で、日本で最も原子力ー原発問題に詳しい毎日新聞の前環境科学部長で現編集委員の斗ケ沢さんをゲストに迎えた第六回緊急日垣塾ーー120人参加ーーでも、詳しくその辺りのことを話しました。斗ケ沢さんは、入社一年目から静岡支局で水爆実験ーー第五伏龍丸被爆事件ーーを皮切りに、うんぜんふげんだけ、阪神、新潟、チェルノブイリ、もんじゅ事故などなどを科学記者として取材してきたこともありますが、大学時代には恋人を取り合った(もちろん僕の勝ち)仲でもあり、かつ女川原発や学費値上げや、大学改革ーー教養部廃止の是非、なとなどを、私が一万人の選挙投票で選ばれる10自治会ある役員 の、それらをまとめる自治会連合の委員長を四期やりました。そのとき、斗ケ沢さんは親友として、また知恵袋として毎日議論していた仲でもありました。そのころのことは、一度書きましたし、今回の公開対談の記録は、来週にでもメルマガにて配信の予定です。長っ。

日垣隆 そういう次第てしたから、私は個人的に動いたのではなく、正式な学生代表として、社長や通産大臣に会う、というのは、わりと日常的なことだったのですよ。記者クラブもないし。大学生協の理事(有給)もしており、こちらは10人ほど。そのひとりに、ノーベル賞をとる田中耕一君も一緒に毎日議論したり、大会社や政府や知事と交渉したり、そういうことが普通の学生時代でした。いわゆる全共闘でもなく、この数年間だけがセクトにも左右されず、全員参加の学生自治会の突発的最盛期だったのだな、と今にして思います。全国の学生代表として、園田農林大臣(故人)などにも農業再生問題で、よく会いましたよ。そういう時代だったのですね。あんまり驚かれたので、そんな価値のあることなのか、と逆にびっくり。女川原発は、町民と一体となって交渉した結果、当初の計画より5メートル高台に建設されることになりました。

この発言はこちらで見ることができます。facebookのアカウントが必要です。発言の公開範囲は「日垣氏の友達の友達」になっています。友達申請が必要な場合は「日垣隆」をfacebookで検索し、友達になる申請をして許可されれば見ることができます。あるいは「日垣隆」と友達になっている人が自分の友達にいれば、見ることができます。

発言が削除される可能性もあるため、キャプチャ画像も用意しました。クリックで拡大します。
 女川原発1 女川原発2

twitterでの発言

hga02104が日垣氏です。日垣氏の発言で重要な部分を赤字にしています。

http://twitter.com/hga02104/status/93944946519838720
こちらは女川原発が建設する前からら、この問題に取り組んでいる。君たちは、私は何も知らないと、町山小僧の子分らしく言い募るが、一体幾つの被害現場に言っているのかな。ただの無知な狼少年ではないか。@ultimatemt4 @keiki22

http://twitter.com/ultimatemt4/status/94017476886675456
@hga02104 @keiki22 おまえは、なんができたんだ?それで女川原発がどうよくなったんだ?原発が停止できたのか?安全性が高くなったのか?負け犬の遠吠えか?それじゃなんの意味もないんだぞ。わかったか。日垣くん。あたまもうちょっと使おうよ。

http://twitter.com/hga02104/status/94086649998344192
5メートル高く建設されました。当初予定なら福島第一と同じになっていました。RT @ultimatemt4: @hga02104 @keiki22 おまえは、なんができたんだ?それで女川原発がどうよくなったんだ?原発が停止できたのか?安全性が高くなったのか?負け犬の遠吠えか?

つまり日垣氏は、自分は女川原発が建設される前から、「この問題」に取り組んでいると主張しました。それに対して問題に取り組んでいったい何の役に立ったのだと詰問され、「5メートル高く建設された」と主張しました。

補足情報1 日垣氏の主張

  • 女川原発着工は1980年
  • 日垣隆氏は1958年生まれ

つまり日垣氏は着工時22歳である。

日垣氏は大学生(東北大学)時代に交渉を成立させたと主張しているので、その主張によれば14.8メートルの高台に建設することに決まったのは1976~80年ということになる。

補足情報2 武田邦彦氏の発言

原発論点7 原発の4重苦
http://takedanet.com/2011/05/post_b941.html

記事中のポイントとなる箇所を以下に引用する。

ところが、福島原発と同じように三陸沖の地震に見舞われた女川原発は、破壊されませんでした。だから、設計は悪くなかったという見方もあります。
しかし、これは偶然です。
予想された津波の高さは、女川でも福島原発とほぼ同じ6メートルから7メートルでしたが、東北電力の設計者が慎重だったために、15メートル程の高台に立てたので破壊を免れたのです。
つまり、たまたま東北電力の中に慎重な設計者がいたとか、東北電力が高台に土地を持っていたということによって、女川原発は破壊を免れたのです。

補足情報3 文化放送 くにまるジャパン 2011年8月23日放送分より 吉崎達彦氏のコメント

コメントの主旨は以下になる。音声はこちら

  • 女川原発は14.8メートルの高台に建っており、今回の津波は14メートルだった
  • どうしてその高さにしたのかは東北電力社内でもわからないし、資料も残っていない
  • 女川原発は1984年に一号機が稼動している(着工は1980年)が、1960年代から計画しており、漁業補償交渉が長引いたため計画は遅れていた
  • 1960年代の構想初期段階から、できる限り高い所につくらなければならないと主張していた役員がいた
  • 高い所につくらなければならないとした理由は津波を警戒しなければならないから

補足情報4 JNN報道特集 2011年8月20日放送「なぜ?神社の手前で大津波が止まったワケ」 より 東北電力 土木建設部長のコメント

コメントの主旨は以下のとおり。動画はこちらの18:37~19:36あたり

過去の津波での被災を考慮し、敷地を10m以下に置くことはナンセンスと考えて女川原発の敷地の高さを海抜14.8mに決めた

補足情報5 毎日新聞 斗ヶ沢秀俊氏の反応

facebook上での発言で名前を挙げられている毎日新聞の斗ヶ沢秀俊氏はtwitterアカウント hidetoga を持っており、ユーザーからこの件について質問されているが、2011年8月23日現在回答はない。

取材内容

上記の情報とは別に私が取材した内容は次のとおり。

  • 東北電力では女川原発を14.8メートルの高さに建設することは1960年代に既に決まっていたことを確認している
  • 14.8メートルの高さにした経緯や理由は記録に残っていないが、それを主張する役員がいたからであると東北電力内では語り継がれている
  • その役員とは状況より平井弥之助氏と推定される

要点

日垣氏の主張する「東北大学在学中に東北電力と交渉し、女川原発の敷地を14.8メートルの高台に変更させた」ことの証拠や証人は見つかっていない。

逆にその主張に対する反証は見つかっており、情報源は東北電力である。

2012年3月5日 追記

前述の「東北電力では女川原発を14.8メートルの高さに建設することは1960年代に既に決まっていた」ことについて、櫻井よしこ氏は1968~69年に行われた敷地の高さを決定するための会議録を手に入れたことなどを『週刊新潮』に書いている。その記事は櫻井よしこ氏のWebサイトに掲載されている。次のページである。

「 原発事故克服に専門家を活用せよ 」
http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2012/03/01/%E3%80%8C%E3%80%80%E5%8E%9F%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85%E5%85%8B%E6%9C%8D%E3%81%AB%E5%B0%82%E9%96%80%E5%AE%B6%E3%82%92%E6%B4%BB%E7%94%A8%E3%81%9B%E3%82%88%E3%80%80%E3%80%8D/