2012/01/16

日垣隆氏 リビア取材期間の齟齬

日垣隆氏は2011年3月に行ったリビア取材について、週刊現代の連載以外では『新潮45』2011年5月号と『CIRCUS』2011年7月号に掲載された記事で触れている。

これら2つの記事で、取材期間の記述に明らかな齟齬があることを記録しておく。

『新潮45』「東北関東大震災2000キロの旅 見えない敵と、見えざる敵と。」での記述

こちらの記事では、3月5日時点では日垣氏は日本におり、3月11日にはリビア取材を終えて日本に帰国している記述になっている。なお、日垣隆氏は3月5日には椎名誠氏との公開イベントを主催し、登壇していたため日本にいたことは明らかである。従って現地を取材した期間は1週間未満である。

『CIRCUS』「なぜ体力の維持が肝要か」での記述

この記事では以下に引用する記述がある。

私はと言えば、その直前までの2ヶ月間、チュニジア革命の実態と、(カダフィはすぐ逃亡するという99%の専門家やマスコミの意見が本当とは思えなかったので)灼熱のリビア内戦を「この目」で見に行っており、帰国後すぐ3・11の報に接して翌日から東北に入り、新幹線が回復するまで盛岡や宮古や福島や仙台まで「長距離バス」で移動を繰り返していた。

リビア内戦を「この目」で見に行った期間が2ヶ月間とされている。なお、「その直前」の「その」は震災を指す。この箇所の直前まで、記事内では震災について書かれている。こちらの記事でも、3月11日までに日本に帰国している記述になっている。

明らかな齟齬

『新潮45』の記事では現地での取材期間は最長でも1週間に満たないのだが、『CIRCUS』の記事では2ヶ月間とされている。

実際はどうであったか/問題点

  • 実際のリビア滞在・取材期間は日垣氏のツイッターでの発言によると数時間~1日程度であることがわかっている。(後述の参考資料を参照)
  • 従って、『CIRCUS』での「2ヶ月」という記述は事実ではない。
  • 『新潮45』の記事で「しかし私が知る限り、チュニジアから入った記者は二人だけ。日本人では私しかいなかったはずだ。」と書かれているが、藤原章生氏がチュニジアからリビアに入り、毎日新聞にルポが掲載されている
  • 記事の問題として、「行った」ことを強調して書いているが、取材を通して何を得られたかという情報は皆無である。『新潮45』の記事では「私が知りたかったのは、庶民の現在と、今後の北アフリカ情勢である。」という記述があるが、この記事内にそれに該当する記述はなく、これ以降も日垣氏はリビアについての取材結果を一般媒体に発表していない。
  • 次に挙げる参考資料で議論されているように、実際はリビアに入国した事実はないのではという疑いも持たれている。

参考資料

  1. ジャーナリスト日垣隆のリビア取材捏造疑惑
    http://anond.hatelabo.jp/20110310123023
  2. 続・ジャーナリスト日垣隆のリビア取材捏造疑惑
    http://anond.hatelabo.jp/20110310233020
  3. 日垣隆(@hga02104)の「見えない敵と、見えざる敵と。」の行方
    http://togetter.com/li/154838
  4. 2011年3月日垣隆リビア取材を検証する
    http://www47.atwiki.jp/gakkymatome/pages/25.html
  5. 日垣隆(@hga02104)氏のリビアから震災被災地への高速移動
    http://togetter.com/li/150642
  6. エジプトやリビアで活躍するカメラマン達(と対照的な日垣隆のリビア行き顛末)
    http://togetter.com/li/110155

実際の誌面

新潮45(新潮社)2011年5月号より
※元の記事は全10ページである。リビア取材については先頭4ページまでにしか書かれていない。本論に関係ない場所は画像を加工し、文字を読めないようにしてある。

新潮45 5月号 censored 1 新潮45 5月号 censored 2 新潮45 5月号 censored 3 新潮45 5月号 censored 4

CIRCUS(KKベストセラーズ)2011年7月号より
※こちらの記事は全2ページである。本論に関係ない場所は画像を加工し、文字を読めないようにしてある。赤の傍線を引いてある箇所が問題の記述である。

Circus_censored