2012/11/15

問題の新聞記事・判決文を踏まえた日垣隆氏による記述へのさらなる疑問

以前の記事『問題の新聞記事・判決文と日垣隆氏による記述の一致』では発見された新聞記事判決文判決後の新聞記事が日垣氏の弟についてのものである可能性について述べた。これらが日垣氏の弟についてのものである場合、さらに以下の点が問題になる。

  1. 被害者の両親は殺人を主張していない
    『少年リンチ殺人』(1999年)には「私の弟は、十三歳でその命を閉じた。両親は、教師たちの過失による「事故」だと、今でも信じようとしているのだが、うすうす気がついているのではないか、と私は感じている。」と書かれているが、これは日垣氏の両親さえも「被害者は同級生により殺された」とは主張していない、ということである。
    これは日垣氏の記述のみを見ても導き出されることであるが、判決文を見ると確かに原告(被害者の両親)は「同級生による殺害」を主張していない。
    本件について事故ではなく殺人(他殺・犯罪)であると主張している者は日垣隆氏以外に見つかっていない。一方、資料に残されている限りすべての当事者(被害者の両親、学校関係者など)はこの件を事故として扱っている。
  2. 加害者は存在したのか、刑法41条・少年法は適用されたのか
    『少年リンチ殺人』(1999年)には「相手は、刑法(第四十一条 十四歳に満たない者の行為は、罰しない)および少年法に基づき、取り調べさえ受けなかった。最初から「なかったこと」にされた。」という記述があるが、刑法41条・少年法を根拠にした場合、その行為は「なかったこと」にはならない(参考:日垣隆は「弟の死」の真相を明らかにすべきだ)。これは日垣氏が法律を理解していないという指摘であるが、判決文を見ても被害者が除雪溝に転落したことは「不慮の事故」とされている。他者の関与についても「浮わついた気持から級友とふざけ合って遊んでいたため本件除雪溝に転落したことを認めうる証拠もない。」と書かれており、様々な可能性の一つとして挙げられているのみである。もし日垣氏の主張するように「弟は同級生により殺害されたが、加害者は刑法41条・少年法を根拠に罰を免れた」のであれば、判決文はこのような記述にはならず、転落したことも「不慮の事故」(判決文にそう書かれている)として扱われることはないはずである。
  3. 日垣氏の語るエピソードは本当にあったことなのか
    『サイエンス・サイトーク いのちを守る安全学』(2001年)では、「弟が殺されて結局“学校事故”っていうことで処理されたのですけど、葬式などがあって十日間くらいしてから、ようやく僕は学校に行くんですね。」という導入部から、その日の授業中に教師から酷い扱いを受けたという話に続く。しかし、新聞記事及び判決文によると被害者が死亡したのは7月23日であり、その十日後となれば既に8月になっている。この頃は中学校は既に夏休みではないのか(参考:夏休みの期間(日本国内)(Wikipedia) )。本当に授業はあったのか。そして、これらの不可解な記述から、このエピソードは本当にあったことなのか疑問である。
  4. 日垣氏の言う「事件に関する全資料」から何がわかるのか
    『少年リンチ殺人』(1999年)で「私はいつか必ず、弟の事件に関する裁判記録を熟読しようと思ってきた。最初は父が、その作業にあたろうとしていたのだが、精神的にまいってしまうほうが先だった。」「この本を書くために、とりわけ第五章の末尾を書くために、私は今こそ弟の事件に関する全資料をひもとこう、と決意したのだが果たせなかった。」と書かれている。この「事件に関する全資料」とは「裁判記録」のことであろうと考えられるが、問題の裁判では殺意などについては争点になっていない。「全資料」とはどのようなもので、それを読むことで何を知ろうとしていたのか疑問である。

以上のように日垣氏の記述には齟齬・疑問点・問題点があり、弟が同級生により殺害されたという主張は疑わしい。

日垣隆氏による「弟」についての改訂

日垣隆氏は学生時代に弟を亡くしている。このことは、日垣氏が自ら繰り返し自著で触れている。1999年『少年リンチ殺人』の出版以降、日垣氏は「弟は同級生に殺され、少年法により加害行為は”なかったこと”にされた」と主張している。この経験に基づいて、日垣氏は少年法について発言したり、犯罪被害者として意見を述べたりしてきている。

しかし、日垣氏の著書では弟の死についての記述が初出時(雑誌掲載時)から改訂されていたり、文庫化の際に改訂されていたりする。この記事では、それらの改訂のうち重要なものを紹介する。

改訂A:「弟の事故死」→「弟の死」

1997年に出版された単行本『情報の技術』を2001年に『情報系 これがニュースだ』として改題・文庫化する際、次のように改訂されている。

  1. 「弟の事故死」→「弟の死」
  2. 「弟の学校事故」→「事件」

以下に比較のため前後の記述も含めて並べる。

情報の技術(朝日新聞社, 1997/10)
225~226ページ(第1刷)第14章 六法よりも奇なり より

 私にとって、二十代で経験した三度の失業など、十代で耐えねばならなかった弟の事故死や、その弟の学校事故を巡って裁判を両親が起こしたという身近な出来事もあってか、法曹界をめざすようになった兄が二十歳で精神分裂病を発症しまだ治癒せぬこと、などに比べれば全然どうということはなかった。

情報系 これがニュースだ(文春文庫, 2001/3)
266ページ(第1刷) 第14章 六法よりも奇なり 不渡り より

 私にとって、二十代で経験した三度の失業など、十代で耐えねばならなかった弟の死や、その事件を巡って裁判を両親が起こしたという身近な出来事もあってか、法曹界をめざすようになった兄が二十歳で精神分裂病を発症しまだ治癒せぬこと、などに比べれば全然どうということはなかった。

なお、日垣氏は2011年に『情報への作法』として『情報系 これがニュースだ』を改題し再文庫化している。これらの間では改訂されている部分はなかった。

これらの記述を比較してみると、弟は事故で亡くなったとしていたのだが、それについて事故ではなく事件であると記述を変えたことがわかる。

改訂B:「学校事故で失い」→「殺され」

「エコノミスト」誌に連載されていた「敢闘言」を『敢闘言―さらば偽善者たち』として単行本化する際、次のように改訂されている。

  1. 「弟を学校事故で失い」→「弟を殺され」
  2. 「弟を殺したに等しい教師たち」→「弟を殺した者たち」

以下に比較のため前後の記述も含めて並べる。

エコノミスト(毎日新聞社) 1995年1月10日号
11ページ「敢闘言」より

 私は中学三年生のとき二つ下の弟を学校事故で失い、以来、正直に告白すれば、弟を殺したに等しい教師たちに殺意を抱いてきた。彼らを許す気になるまで一〇年以上がかかった。

敢闘言―さらば偽善者たち(太田出版, 1999/5)
143ページ(初版)1995.1.10 命を奪われない限りにおいて より

 私は中学三年生のとき二つ下の弟を殺され、以来、正直に告白すれば、弟を殺した者たちに殺意を抱いてきた。彼らを許す気になるまで一〇年以上かかった。

これらの記述を比較してみると、前者では弟はやはり事故で亡くなったとされている。またその責任が教師たちにあることを示唆している。しかし後者では事故ではなく殺されたと記述を変更し、あわせてその責任が教師たちにあるとしていたのをぼかすように改訂されている。

「事故」から「事件」へ

ここまでの改訂内容でわかるように、日垣氏は当初、弟は事故で亡くなったとしていた。そして後にそれを「事件」であり「殺された」つまり弟の死は殺人事件であったと自らの主張を変更している。

改訂C:「事故」→「致死事件」

1992年に出版された『日本人が変わった――ふくらんだ泡が弾けて』に収録された記事を1998年に『子供が大事!』に再録する際、次のように改訂されている。

  1. 「教師たちの重大な過失による学校事故で、命を奪われたのである。」→「教師たちに、命を奪われたのである。」
  2. 「事故」→「致死事件」
  3. 「死亡事故の原因が、すべて弟の不注意に帰せられていた」→「死亡の原因が捏造され、なんと弟の不注意に帰せられていた」
  4. 「不注意な生徒というイメージをもたせるために、報告書のうえで成績を落とすことが彼らには必要だったのだろう。」という記述の追加
  5. 「僕は父に、そのことを告げた。」→「その場で僕は父と教育長に、そのことを告げた。」

以下に比較のため前後の記述も含めて並べる。

日本人が変わった――ふくらんだ泡が弾けて(毎日新聞, 1992/8)
203~205ページ(刷数不明。1992/8/20発行) 分裂病の兄よ、逝ってしまった弟よ より

 悪夢である。が、実際に起こったことだ。その日から、弟は二度と帰らぬ人となった。教師たちの重大な過失による学校事故で、命を奪われたのである。
(略)
 それまで、教師たちから、事故に関する謝罪を受け、彼らがいかに理不尽な行為のもとに弟を死に追いやったかを僕は直接、耳にしていた。小さな中学校だったから、弟と僕の教え手はほとんど重複していたのである。だが、教育委員会に提出された報告書に書かれてあった内容は、それまでの見聞とは一八○度も違っていた。死亡事故の原因が、すべて弟の不注意に帰せられていたばかりか、中学になって弟が初めてもらった最初で最後の通知表までもが見事に改竄されていたのだった。僕は父に、そのことを告げた。のちに裁判となり、全面勝訴となったのだが、裁判に勝っても弟の命はむろん、帰ってなどこなかった。

子供が大事!(信濃毎日新聞社 , 1998/11)
14~18ページ(初版)第1話 兄よ、弟よ より

 悪夢である。その日から、弟は二度と帰らぬ人となった。教師たちに、命を奪われたのである。
(略)
 それまで、教師たちから、致死事件に関する謝罪を受け、彼らがいかに理不尽な行為のもとに弟を死に追いやったかを僕は直接耳にしていた。だが、教育委員会に提出された報告書に明記されていた内容は、それまでの見聞とは一八○度も違っていたのである。死亡の原因が捏造され、なんと弟の不注意に帰せられていたばかりか、中学になって弟が初めてもらった最初で最後の通知票までもが見事に改竄されていたのだった。不注意な生徒というイメージをもたせるために、報告書のうえで成績を落とすことが彼らには必要だったのだろう。
 その場で僕は父と教育長に、そのことを告げた。のちに裁判となり、全面勝訴となったのだが、裁判に勝っても弟の命はむろん、帰ってなどこなかった。

これらの記述を比較することで、以前は「弟の死は事故によるものであるが、教師たちに過失があった」としていたものを、のちに「これは事件であり、加害者が教師たちであり、そして教師たちは事件を隠蔽しようとした」かのような記述に改訂されたことがわかる。

問題点

冒頭に『日垣氏は「弟は同級生に殺され、少年法により加害行為は”なかったこと”にされた」と主張している。』と書いた。しかしここまでの改訂で同級生は出て来ない。実は日垣氏による弟の死についての記述は次のように時期によって異なるのである。

1990年~1996年 事故で亡くなった
1997年~1998年 (教師たちに)殺された
1999年~ 同級生(少年)に殺された

この「時期による主張の変遷」はおおまかなものであり、多少のブレがあったりもする。時期によって弟がどのように亡くなったのかという説明が一貫していない上に、発言する場によっても変わってくるのだ。それらは『日垣隆氏による兄弟(弟)についての記述・発言一覧』としてまとめておいた。

このように主張が一貫していないことにより「日垣氏の弟は本当はどのようにして亡くなったのだろうか」という疑問が呈されるようになった。事故なのだろうか、教師に殺されたのだろうか、同級生に殺されたのだろうか、それともそれ以外なのか。また、同級生に殺されたのでなければ、少年法について「弟が少年に殺された」という経験を元に語っていたことは問題ではないのか、そして事故であるならば「犯罪被害者」という立場から語っていた言葉は何だったのか、という問題もある。

このテーマではこれらの疑問についての調査研究結果を記録していく。

(『「日垣隆氏による弟についての記述」への疑問』に続く)

2012/10/07

週刊現代「なんなんだこの空気は メディア考現学」掲載リスト

# 見出し 掲載号
1 足利事件で忘れられた精神鑑定書の罪 2009/07/18号
2 拉致被害者の「遺骨」をめぐる日本側の錯誤 2009/07/25号
3 「日食ハンター」をご存知ですか?7月22日に注目!   2009/08/01号
4 取材とは何か そして 何が変わったのか 2009/08/08号
5 指先だけで書く「予定稿」は本当に必要なのか? 2009/08/22・29号
6 芸能人の覚醒剤事件も市民が「深く考える」裁判員制度の対象に 2009/09/12号
7 不倫メールの隠し方と、いつの間にか、超監視社会へ 2009/09/19・26号
8 いったい活字はどこまで崩壊するのか。それとも、むしろ復興? 2009/10/03号
9 組閣時の日本式「正装」をめぐる、いくつかの疑問と不安   2009/10/10号
10 時間の待ち方の変容 または10分1000円理容の感銘 2009/10/17号
11 「友達がいない!」と、「おひとり様」の間 2009/10/24号
12 キンドルが日本上陸。買い方だけでなく、読み方も変わる 2009/10/31号
13 結婚式と葬式とネット中毒 2009/11/07号
14 走り始めると、なぜ、無理をしてしまうのか 2009/11/14号
15 せっかち派VS.のんびり派 2009/11/21号
16 「無人島でこの××」について、考えてみた 2009/11/28号
17 大過ない人生と、挑戦的な人生。そしてTHIS IS IT! 2009/12/05号
18 睡眠障害が急増中。けれども、そんなことより 2009/12/12号
19 ラジオの衝撃から約1世紀――メディアを手にした大衆 2009/12/17号
20 新聞社は、これからどうやって食っていくのか 2009/12/26・2010/01/02号
21 人脈って何?ちょっと気持ち悪くないか 2010/01/09・16号
22 2010年、パーソナル・インフラと会社の致命的問題 2010/01/23号
23 モノからライブへ。憧れから体験と参加へ。この動きは止まらない 2010/01/30号
24 ブック・クラブを私は、流行らせたいと思う 2010/02/06号
25 孤独な読書と、サロン的な読書とは、まったく違う体験知 2010/02/13号
26 読まずに死ねるか、あの古典や名著を、手に取らぬままには 2010/02/20号
27 古いメディアと、新しいメディアとの、共存としての大読書会 2010/02/27号
28 現場で考える、現場を見る、現場で読む 2010/03/06号
29 中2生は映画を無料に、という提案。たとえ、それがなくても親が……   2010/03/13号
30 電子書籍の衝撃は、電子レンジほどのものではない(笑) 2010/03/20号
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32 電子書籍の「黒船来襲」なんて、大したものじゃない! 2010/04/03号
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34 再びダダ漏れについて。悪しき面もあるけれど、画期的な良薬なり 2010/04/17号
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44 スポーツの感動、予期せぬ事態、寄り道は豊かさの要諦 2010/07/10号
45 控えめな上海万博を舐めてはいけない。激変するサービス力 2010/07/17・24号
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75 客を「映画泥棒」扱いする劇場を拒否しよう!   2011/03/12号
76 北アフリカで、本当の所いま何が起きているのか?   2011/03/19号
77 未知の世界での情報の集め方、行動の決定方法   2011/03/26号
78 大異変のとき結局、何が頼りになるか   2011/04/02号
79 日本全土が被災地であり、全員が被害者だ   2011/04/09号
80 そもそも、取材とは何だろうか   2011/04/16号
81 「ご本人様でいらっしゃいますか」って、お前こそ誰だ   2011/04/23号
82 便利さと引き換えに充電器問題――25年の変化   2011/04/30号
83 チェルノブイリとフクシマ。同じこと、違うこと   2011/05/07・14号
84 津波が戦争を終わらせた――。人類への試練   2011/05/21号
85 身近なところで小さな努力を――。または闇について   2011/05/28号
86 危機を煽り立てる派vs.あとづけで解説派   2011/06/04号
87 仲間内意識が、国内外の報道を歪ませる   2011/06/11号
88 社会主義と資本主義とは、合わせ鏡のような   2011/06/18号
89 ANAよ、キミもJALの如くに   2011/06/25号
90 ANAよ、さらば――とは言わないが   2011/07/02号
91 なんとなく流れる定義なきレッテルに、誰も抗い難い   2011/07/09号
92 『源氏物語』とFacebookに共通するもの   2011/07/16・23号
93 オークションは、かつて高嶺の花だった   2011/07/30号
94 誰でもできる身近なリアル・オークション   2011/08/06号
95 あなたもネトオクの主宰者に!   2011/08/13号
96 Facebookでナンパされそうになった話(前篇)   2011/08/20・27号
97 Facebookでナンパされそうになった話(中篇)   2011/09/10号
98 Facebookでナンパされそうになった話(後篇)   2011/09/17号
99 フジテレビを囲んだデモに見る「達成感」考   2011/09/24・10/01号
100 新大陸と旧大陸――好機到来の件   2011/10/08号
101 損切りと得切りが、勝負と人生を大きく分かつ!   2011/10/15号
102 ANAのドジミス連発のお蔭様で、より楽しい旅に(笑)   2011/10/22号
103 禁断のFXは、ギャンブルゆえ楽しいのだ!   2011/10/29号
104 東電株が上がり始める日を予測する方法   2011/11/05号
105 解説書が煽るのは、勝者が少ない故だ。娯楽として楽しもう!   2011/11/12号
106 そろそろ手帳の時期。これぞベスト!は、なかなかないよね   2011/11/19号
107 思えば遠くへ来たもんだねえ、通信事情も   2011/11/26号
108 人によって旅の目的は違う。歳による変化も大きい   2011/12/03号
109 「ランナーズ手帳」なるほど、この手があったか   2011/12/10号
110 フェイスブックの「フェイス」問題について考える   2011/12/17号
111 プロが予測を外したら、今後はペナルティを(笑)   2011/12/24号
112 島崎藤村が生活のために敢行した自費出版   2012/01/14号
113 出版セミナー全盛。やれやれ、な諸問題   2012/01/21号
114 国境の越え方。そもそも、考えたい「国」の「境」とは   2012/01/28号
115 黄熱病の予防だけしても、どうなのよ   2012/02/04号
116 アフリカの通信事情はいま、どうなっているか   2012/02/11号
117 どこでも仕事が出来る時代。いいことなのか?   2012/02/18号
118 損切り回避の秘策、教えます   2012/03/03号
119 フェイスブックはなぜ、面白いのか(前篇)   2012/03/10号
120 フェイスブックはなぜ、面白いのか(中篇)   2012/03/17号
121 フェイスブックはなぜ、面白いのか(後篇)   2012/03/24号
122 津波は、またいつか必ず来る   2012/03/31号
123 東急不動産社長への公開質問状   2012/04/07号
124 追伸。東急不動産、金指社長殿   2012/04/14号
125 なぜ人々は、テレビを見なくなったのか   2012/04/21号
126 世界を席巻するスマホは「どこでもドア」   2012/04/28号
127 陸からか、海からか、空からか   2012/05/05号
128 写真という媒体と自意識の暴走   2012/05/19号
129 時間厳守と「青春」考   2012/05/26号
130 異国から見聞してみた日本の「ニュース」   2012/06/02号
131 著名衰退企業にも生前葬は如何?   2012/06/16号
132 悩ましいねえ堂々たる違法コピー   2012/06/23号
133 違法コピー、その商法の行きつく先は   2012/06/30号
134 ありえたかも知れぬ人生は、ニュースもまた例外ではない   2012/07/07号
135 趣味は、楽しいですよね?では仕事は?   2012/07/14号
136 ヲタク、適度なストック、過剰性   2012/07/21号
137 ネバー・ギブ・アップ!   2012/08/04号
138 Rich? or Happy?(最終回)   2012/08/11号

…「ダ」は『ダダ漏れ民主主義』、「電」は『電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。』に収録されている。

2012/10/04

日垣隆「ダイオキシン猛毒説の虚構」が国会で取り上げられた時の議事録

日垣隆氏による記事「ダイオキシン猛毒説の虚構」が国会でとりあげられるということがあった。この時、専門家はその記事を肯定的にはとりあげなかった。日垣氏はそのことを著書で扱っているのだが、日垣氏が紹介する議事録の内容と実際の議事録に違いが見られる。この記事ではその違いについて指摘する。

日垣隆著『敢闘言―さらば偽善者たち』(1999年、太田出版)の37~38ページ(初版)に以下の記述がある。

 私のルポが国会でとりあげられ、専門家四人が長々とコメントを加えるという場面があったのだが、他の三人が要するに「敵ながら痛いところをつかれた、心したい」と答えざるをえなかったのに対し、一人だけ環境総合研究所の青山所長という人が私を罵倒しているのである。国会での議事録を私に見せたのは、その所長の腰巾着記者だった。おまえは、こんな取材をしているのか、と難じて私に見せたのである。所長さんは、日垣の自分に対する取材方法がいかに醜いものだったか、大金を積んで資料を買い取るからおまえたちは黙れと言われた、とまで「証言」なさっていた。そんな卑劣な男の書いたルポは読むに値しない、と国会で吐き捨てるように断じている。

これは当該書籍の第1章「ダイオキシン猛毒説の虚構」(初出:文藝春秋 1998年10月号)という記事を収録するにあたり、付記として書かれた文章である。

日垣隆氏の記事が国会で取り上げられ、日垣氏はその議事録を見た、とのことだ。

国会の議事録は国会会議録検索システムというものがあり、簡単に検索できる。当該の発言は第143回国会 衆議院 環境委員会 4号 平成10年(1998年)10月2日での発言であることがわかった。以下はその議事録へのリンクと、青山貞一氏が日垣氏について発言した箇所の引用である。

第143回国会 衆議院 環境委員会 平成10年10月2日 第4号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/143/0378/14310020378004a.html

○青山参考人 青山です。
 日垣さんの論文を私も読みました。実は、日垣さんがそれを書く前に、私に取材を申し込まれてきました。日垣さんは、私の持っているデータを譲ってくれ、売ってくれとまで言いましたので、そういうものは売るもの、譲るものではなくて、自分の足で、環境庁であれ所沢であれ、行ってくれということでしたけれども、その一カ月半後ぐらいにそれが出ました。七十冊の本を読んだと書いてあります。何らかの意図があってそういうことを書かれたのかどうかわかりませんが、私は非常に、それもえらい稚拙、拙速な論文だと思っています。

この後、別の記者(横田一氏)の話に一旦移る。上の発言は「記者が記事を書く上で根拠となる資料・情報・データをシンクタンクに求めるのではなく、自分で現地を取材したり、元のデータを入手しなさいよ」ということを言っているのだと私は理解した。

そして日垣氏が書いているような「大金を積んで資料を買い取るからおまえたちは黙れと言われた」というような発言は見当たらない。また、「そんな卑劣な男の書いたルポは読むに値しない」というような、日垣氏を「卑劣」と非難する発言も見当たらない。

また、日垣氏は「専門家四人が長々とコメントを加える」『他の三人が要するに「敵ながら痛いところをつかれた、心したい」と答えざるをえなかった』とも書いている。この「他の三人の専門家」とは井口参考人・林参考人・千葉参考人であろうが、彼らの発言のどこが「敵ながら痛いところをつかれた」と解釈できるのか、私には理解できなかった。

この付記の冒頭(37ページ)には

このルポは「文藝春秋」九十八年一〇月号に掲載され、ハングル誌や英字誌にも翻訳転載された

という記述もある。まずは英字紙を探してみたが、これも見つからなかった。せめて雑誌名を、できればいつの何号なのか書いておいていただきたい。

 

注記

同名書籍の文春文庫版『敢闘言―さらば偽善者たち』(2002年、文藝春秋)には「ダイオキシン猛毒説の虚構」は収録されておらず、従って引用した付記もない。このブログ記事は太田出版の単行本を対象に書かれている。

2012/09/07

「日垣隆氏による弟についての記述」への疑問

日垣隆氏による「弟」についての改訂』では日垣氏による著作の改定内容を比較した。これにより、日垣氏の弟が亡くなった出来事について、日垣氏の説明が事故から殺人へと変わっていることがはっきりした。しかし、改訂内容だけでなく、日垣氏による弟についての記述を調べていくと、一読しただけでは気づきにくい不可解な記述や発言がある。この記事ではそれらを1つずつ説明していく。なお 1.~3. は前の記事(『日垣隆氏による「弟」についての改訂』)で既に説明しているので、それを読んでいる方は 4. から読めばよい。

  1. 「事故」から「(教師に)殺された」と主張を変更している
    それまで「事故」で亡くなったと書いていた弟について「敢闘言(エコノミスト1997年7月15日号)」で「弟を殺した教師たち」と記述している。 その後、『子供が大事!』の「兄よ、弟よ」では初出(エコノミスト1992年3月17日号)から記述が大幅に改訂されており、「事故」という表現がなくなっている。
  2. さらに「同級生に殺された」と主張を変更している
    1997年から1998年にかけて、日垣氏は弟が「殺された」あるいは「教師たちに殺された」と記述していた。しかし、1999年の『敢闘言―さらば偽善者たち』および『少年リンチ殺人』からは、弟は同級生(少年)に殺されたと主張し始める。この時、『敢闘言―さらば偽善者たち』では2つのコラムが以下のように雑誌掲載時から改訂されている。
    • 1995.1.10 命を奪われない限りにおいて
      「弟を学校事故で失い、」→「弟を殺され、」
      「弟を殺したに等しい教師たち」→「弟を殺したたち」
    • 1997.7.15 人は残虐な一面をもっている
      「弟を殺した教師たち」→「弟を殺したたち」
  3. 「事故死」→「死」、「事故」→「事件」と改訂している
    ここまでに3つの改訂をとりあげたが、それら以外にも改訂されている箇所がある。『情報の技術』(1997年)を文庫化した『情報系 これがニュースだ』(2001年)では、元の『情報の技術』で「弟の事故死」「事故」と書かれていた箇所が「弟の死」「事件」に改訂されている。
    これらの改訂に対する説明は特にない。しかし、これらの改訂からは主張を変更したという意思が伺える。なお、当該書籍は『情報への作法』(2011年)として三たび出版されるが、こちらの記述も「弟の死」「事件」となっている。
  4. 改訂漏れ?
    『少年リンチ殺人』(1999年7月)より後に出版された『「学校へ行く」とはどういうことなのだろうか』(1999年12月)では「学校事故」「事故」という記述が残っている。
    先の例では「事故」という記述が改訂されているのだが、こちらの例では、「学校事故」「事故」という記述は改訂されずそのままになっている。執筆時期の前後関係についても考えたが、弟が「殺され」たと主張し始めたのはエコノミスト 1997年7月15日号である。この『「学校へ行く」とはどういうことなのだろうか』は過去に出版された本の再販(合本)であることから、編集作業は主張を変更した後であろうと推定している。
    可能性としては、編集者やアシスタントなど日垣氏以外の誰かが編集作業にあたった、あるいは単純に見落としたということも考えられる。
  5. 「殺され」たと主張を変更してからも「事故」と発言している
    『少年リンチ殺人』(1999年)の出版から4年後の「飯田高等学校生徒刺殺事件検証委員会」(2003年)で「事故で弟を亡くした」と発言していることが議事録に残っている。
    『少年リンチ殺人』で主張を変更した後、この発言までの間に何度も弟について「殺され」た、「犯罪」等と書いているにも関わらず、この会議では「事故」と述べている。
    その理由はあくまでも不明ではあるが、 以下を考慮すると、日垣氏がここで「殺された」と主張せず、「事故」と述べたことは合理的であったかもしれない。
    • 日垣氏及び日垣氏の弟は長野市内の中学校に通っていた
    • 日垣氏の弟が亡くなった件には学校が関わっている
    • この会議は長野県の学校で起きた殺人事件の検証委員会である
    • この会議は長野県庁(長野市)で行われた
    • この会議には長野県の教育関係者が多数出席している
  6. 目撃者はいたのか、いなかったのか
    『少年リンチ殺人』(1999年)では「弟を直接、四メートルもある除雪溝に突き落として絶命させたのは当時十三歳の少年だ、という事実を私は直接本人からも、そこに居合わせた者たちからも聞いていた。」と書かれているが、『偽善系』(2000年)では「彼は周囲には何も知られず、いつもどおり笑っていた。」と書かれている。
    前者では弟が除雪溝に転落したことを目撃した者が複数おり、日垣氏は彼らから「弟は溝に突き落とされた」という目撃証言を得たことになっているが、後者では目撃者はおらず、「弟が溝に突き落とされた」ことは(日垣氏以外)他の誰も知らないかのような記述になっている。
  7. 日垣隆氏は誰から「それ」を聞いたのか
    目撃者についての記述にぶれがあるため、日垣氏が「弟は殺された」と考えるようになったきっかけは何だったのかという疑問がわく。先の引用をもう一度見てみると、「弟を直接、四メートルもある除雪溝に突き落として絶命させたのは当時十三歳の少年だ、という事実を私は直接本人からも、そこに居合わせた者たちからも聞いていた。」と書かれている。本人から聞いたのならば、それがきっかけでそう考えるようになったのかもしれない。しかし、この「本人」とは誰なのか。今のところ「本人=弟」「本人=加害者とされる人物」という2つの説がある。

これらの問題点からは、事故から殺人へと2回も主張が変わったという問題と共に、殺人である場合はその描写に齟齬が見られる。またそれとは別に、殺人へと主張を変えた後も事故と述べている場面があるという問題もある。

これらのことにより、殺人であるという主張が疑わしくなった。最初に述べていた「事故」が事実であり、殺人であったという主張は事実ではないのではないか、ということである。別の記事でも述べたが、事故であった場合、次の問題点がある。

  • 少年法について「弟が少年に殺された」という経験に基づいた意見を述べていた
  • 「犯罪被害者」という立場から意見を述べていた

このような疑惑について調査をしていた折、ある新聞記事が発見された。これにより事態は大きく進展する。

(『問題の新聞記事・判決文と日垣隆氏による記述の一致』に続く)

2012/09/04

問題の新聞記事・判決文と日垣隆氏による記述の一致

日垣氏による「弟は少年に殺された」という主張に疑問を感じて調査をしていた折、2012年8月24日にある新聞記事の発見報告があった。様々な点からこれは日垣氏の弟について書かれたものではないかと考えられ、関係資料が調査された結果、さらにその件での判決文(事件番号:長野地方裁判所 昭和50(ワ)63号)と判決後のインタビュー記事が見つかった。この調査経緯については記事末尾の参考資料を参照していただきたい。

これらの新聞記事と判決文はブログ「KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)」の以下の記事で紹介されている。

この記事では判決文・新聞記事と日垣隆氏による弟についての記述との一致する箇所を挙げる。

判決文・新聞記事と日垣氏による記述の一致点

  1. 被害者及びその両親の苗字が「日垣」である
  2. 被害者の父の職業が高校教員である(『子供が大事!』)
  3. 昭和48年(1973年)の出来事である
    日垣隆氏の生年月日は1958年7月30日である。日垣氏の弟が亡くなったのは日垣氏が「中学三年」の時(『<検証>大学の冒険』『怒りは正しく晴らすと疲れるけれど』など)であり、15才になる年、つまり1973年である。
  4. 夏の出来事である
    新聞記事及び判決によると被害者が死亡したのは7月23日である。日垣氏の弟が亡くなったのは、日垣氏が「中学三年生の夏」(『怒りは正しく晴らすと疲れるけれど』)である。
  5. 被害者の年齢が13才である
    (『閉ざされた回路』『少年リンチ殺人』)
  6. 事故状況の一致:被害者は深さ4メートルの除雪溝(側溝)に転落した(『少年リンチ殺人』)
  7. 事故状況の一致:事故は7月19日夜に起きた。被害者は4日後の7月23日朝に死亡した。日垣氏の記述によると「弟は三日間、生死をさまよった(『分裂病の兄よ,逝ってしまった弟よ』)とある。
  8. 事故状況の一致:学校行事(正課)中の事故である(『閉ざされた回路』『分裂病の兄よ,逝ってしまった弟よ』など)
  9. 場所の一致:長野県長野市立北部中学校(の校外活動)で起きている
    日垣氏は長野県長野市出身である。
  10. 被害者の両親が学校側に対して損害賠償を求める民事裁判を起こしている
    (『裁判官に気をつけろ!(文春文庫)』『分裂病の兄よ,逝ってしまった弟よ』など) 
  11. 家族構成の一致:被害者は四人兄弟の三男である
    判決文に以下の文がある。「日垣明は、原告ら夫婦の三男として生れ、二人の兄、一人の姉とともに慈愛に満ちた両親の下で健全な家庭の一員として健かに成長し、」(後略)
    (『サイエンス・サイトーク いのちを守る安全学』など)
  12. 裁判時期の一致:昭和50年(1975年)
    判決後の新聞記事に「日垣夫妻はこの事故で、五十年一月、長野簡裁に調停を申し立てた」と書かれている。『裁判官に気をつけろ!(文春文庫)』には「私が初めて裁判を傍聴したのは一九七五年、高校一年生のときでした。少年事件で亡くなった弟の裁判です。」と書かれている。1975年は昭和50年であり、裁判時期が一致する。

なお、問題の新聞記事と判決文は被害者及びその父親の名前・年齢、出来事の日付、事故状況、事故現場などが一致している。

このように多数の状況が一致するため、これらの新聞記事・判決文は日垣氏の弟についてのものである可能性が高いと考えられる。しかしその場合、『「日垣隆氏による弟についての記述」への疑問』で挙げた問題点に加え、さらなる問題点がある。

(『問題の新聞記事・判決文を踏まえた日垣隆氏による記述へのさらなる疑問』に続く)

参考資料

【連載ゼロ】日垣隆★95【54歳無職】
http://logsoku.com/thread/uni.2ch.net/ebooks/1345428338/125-