2012/09/07

「日垣隆氏による弟についての記述」への疑問

日垣隆氏による「弟」についての改訂』では日垣氏による著作の改定内容を比較した。これにより、日垣氏の弟が亡くなった出来事について、日垣氏の説明が事故から殺人へと変わっていることがはっきりした。しかし、改訂内容だけでなく、日垣氏による弟についての記述を調べていくと、一読しただけでは気づきにくい不可解な記述や発言がある。この記事ではそれらを1つずつ説明していく。なお 1.~3. は前の記事(『日垣隆氏による「弟」についての改訂』)で既に説明しているので、それを読んでいる方は 4. から読めばよい。

  1. 「事故」から「(教師に)殺された」と主張を変更している
    それまで「事故」で亡くなったと書いていた弟について「敢闘言(エコノミスト1997年7月15日号)」で「弟を殺した教師たち」と記述している。 その後、『子供が大事!』の「兄よ、弟よ」では初出(エコノミスト1992年3月17日号)から記述が大幅に改訂されており、「事故」という表現がなくなっている。
  2. さらに「同級生に殺された」と主張を変更している
    1997年から1998年にかけて、日垣氏は弟が「殺された」あるいは「教師たちに殺された」と記述していた。しかし、1999年の『敢闘言―さらば偽善者たち』および『少年リンチ殺人』からは、弟は同級生(少年)に殺されたと主張し始める。この時、『敢闘言―さらば偽善者たち』では2つのコラムが以下のように雑誌掲載時から改訂されている。
    • 1995.1.10 命を奪われない限りにおいて
      「弟を学校事故で失い、」→「弟を殺され、」
      「弟を殺したに等しい教師たち」→「弟を殺したたち」
    • 1997.7.15 人は残虐な一面をもっている
      「弟を殺した教師たち」→「弟を殺したたち」
  3. 「事故死」→「死」、「事故」→「事件」と改訂している
    ここまでに3つの改訂をとりあげたが、それら以外にも改訂されている箇所がある。『情報の技術』(1997年)を文庫化した『情報系 これがニュースだ』(2001年)では、元の『情報の技術』で「弟の事故死」「事故」と書かれていた箇所が「弟の死」「事件」に改訂されている。
    これらの改訂に対する説明は特にない。しかし、これらの改訂からは主張を変更したという意思が伺える。なお、当該書籍は『情報への作法』(2011年)として三たび出版されるが、こちらの記述も「弟の死」「事件」となっている。
  4. 改訂漏れ?
    『少年リンチ殺人』(1999年7月)より後に出版された『「学校へ行く」とはどういうことなのだろうか』(1999年12月)では「学校事故」「事故」という記述が残っている。
    先の例では「事故」という記述が改訂されているのだが、こちらの例では、「学校事故」「事故」という記述は改訂されずそのままになっている。執筆時期の前後関係についても考えたが、弟が「殺され」たと主張し始めたのはエコノミスト 1997年7月15日号である。この『「学校へ行く」とはどういうことなのだろうか』は過去に出版された本の再販(合本)であることから、編集作業は主張を変更した後であろうと推定している。
    可能性としては、編集者やアシスタントなど日垣氏以外の誰かが編集作業にあたった、あるいは単純に見落としたということも考えられる。
  5. 「殺され」たと主張を変更してからも「事故」と発言している
    『少年リンチ殺人』(1999年)の出版から4年後の「飯田高等学校生徒刺殺事件検証委員会」(2003年)で「事故で弟を亡くした」と発言していることが議事録に残っている。
    『少年リンチ殺人』で主張を変更した後、この発言までの間に何度も弟について「殺され」た、「犯罪」等と書いているにも関わらず、この会議では「事故」と述べている。
    その理由はあくまでも不明ではあるが、 以下を考慮すると、日垣氏がここで「殺された」と主張せず、「事故」と述べたことは合理的であったかもしれない。
    • 日垣氏及び日垣氏の弟は長野市内の中学校に通っていた
    • 日垣氏の弟が亡くなった件には学校が関わっている
    • この会議は長野県の学校で起きた殺人事件の検証委員会である
    • この会議は長野県庁(長野市)で行われた
    • この会議には長野県の教育関係者が多数出席している
  6. 目撃者はいたのか、いなかったのか
    『少年リンチ殺人』(1999年)では「弟を直接、四メートルもある除雪溝に突き落として絶命させたのは当時十三歳の少年だ、という事実を私は直接本人からも、そこに居合わせた者たちからも聞いていた。」と書かれているが、『偽善系』(2000年)では「彼は周囲には何も知られず、いつもどおり笑っていた。」と書かれている。
    前者では弟が除雪溝に転落したことを目撃した者が複数おり、日垣氏は彼らから「弟は溝に突き落とされた」という目撃証言を得たことになっているが、後者では目撃者はおらず、「弟が溝に突き落とされた」ことは(日垣氏以外)他の誰も知らないかのような記述になっている。
  7. 日垣隆氏は誰から「それ」を聞いたのか
    目撃者についての記述にぶれがあるため、日垣氏が「弟は殺された」と考えるようになったきっかけは何だったのかという疑問がわく。先の引用をもう一度見てみると、「弟を直接、四メートルもある除雪溝に突き落として絶命させたのは当時十三歳の少年だ、という事実を私は直接本人からも、そこに居合わせた者たちからも聞いていた。」と書かれている。本人から聞いたのならば、それがきっかけでそう考えるようになったのかもしれない。しかし、この「本人」とは誰なのか。今のところ「本人=弟」「本人=加害者とされる人物」という2つの説がある。

これらの問題点からは、事故から殺人へと2回も主張が変わったという問題と共に、殺人である場合はその描写に齟齬が見られる。またそれとは別に、殺人へと主張を変えた後も事故と述べている場面があるという問題もある。

これらのことにより、殺人であるという主張が疑わしくなった。最初に述べていた「事故」が事実であり、殺人であったという主張は事実ではないのではないか、ということである。別の記事でも述べたが、事故であった場合、次の問題点がある。

  • 少年法について「弟が少年に殺された」という経験に基づいた意見を述べていた
  • 「犯罪被害者」という立場から意見を述べていた

このような疑惑について調査をしていた折、ある新聞記事が発見された。これにより事態は大きく進展する。

(『問題の新聞記事・判決文と日垣隆氏による記述の一致』に続く)