日垣氏による「弟は少年に殺された」という主張に疑問を感じて調査をしていた折、2012年8月24日にある新聞記事の発見報告があった。様々な点からこれは日垣氏の弟について書かれたものではないかと考えられ、関係資料が調査された結果、さらにその件での判決文(事件番号:長野地方裁判所 昭和50(ワ)63号)と判決後のインタビュー記事が見つかった。この調査経緯については記事末尾の参考資料を参照していただきたい。
これらの新聞記事と判決文はブログ「KAFKAESQUE(日垣隆検証委員会)」の以下の記事で紹介されている。
- サンクチュアリ1973.7.23ー検証・日垣隆「弟の死」の真相
事故と被害者の死亡を報じた信濃毎日新聞1973年7月23日の記事 - 世界の終りと1977.1.21ー検証・日垣隆「弟の死」の真相(補論)
判決文(1977年1月21日 事件番号:長野地方裁判所 昭和50(ワ)63号) - DARKER THAN DARKNESS1977.1.22ー検証・日垣隆「弟の死」の真相(補論A)
判決後に原告を取材した信濃毎日新聞1977年1月22日の記事
この記事では判決文・新聞記事と日垣隆氏による弟についての記述との一致する箇所を挙げる。
判決文・新聞記事と日垣氏による記述の一致点
- 被害者及びその両親の苗字が「日垣」である
- 被害者の父の職業が高校教員である(『子供が大事!』)
- 昭和48年(1973年)の出来事である
日垣隆氏の生年月日は1958年7月30日である。日垣氏の弟が亡くなったのは日垣氏が「中学三年」の時(『<検証>大学の冒険』『怒りは正しく晴らすと疲れるけれど』など)であり、15才になる年、つまり1973年である。 - 夏の出来事である
新聞記事及び判決によると被害者が死亡したのは7月23日である。日垣氏の弟が亡くなったのは、日垣氏が「中学三年生の夏」(『怒りは正しく晴らすと疲れるけれど』)である。 - 被害者の年齢が13才である
(『閉ざされた回路』『少年リンチ殺人』) - 事故状況の一致:被害者は深さ4メートルの除雪溝(側溝)に転落した(『少年リンチ殺人』)
- 事故状況の一致:事故は7月19日夜に起きた。被害者は4日後の7月23日朝に死亡した。日垣氏の記述によると「弟は三日間、生死をさまよった(『分裂病の兄よ,逝ってしまった弟よ』)とある。
- 事故状況の一致:学校行事(正課)中の事故である(『閉ざされた回路』『分裂病の兄よ,逝ってしまった弟よ』など)
- 場所の一致:長野県長野市立北部中学校(の校外活動)で起きている
日垣氏は長野県長野市出身である。 - 被害者の両親が学校側に対して損害賠償を求める民事裁判を起こしている
(『裁判官に気をつけろ!(文春文庫)』『分裂病の兄よ,逝ってしまった弟よ』など) - 家族構成の一致:被害者は四人兄弟の三男である
判決文に以下の文がある。「日垣明は、原告ら夫婦の三男として生れ、二人の兄、一人の姉とともに慈愛に満ちた両親の下で健全な家庭の一員として健かに成長し、」(後略)
(『サイエンス・サイトーク いのちを守る安全学』など) - 裁判時期の一致:昭和50年(1975年)
判決後の新聞記事に「日垣夫妻はこの事故で、五十年一月、長野簡裁に調停を申し立てた」と書かれている。『裁判官に気をつけろ!(文春文庫)』には「私が初めて裁判を傍聴したのは一九七五年、高校一年生のときでした。少年事件で亡くなった弟の裁判です。」と書かれている。1975年は昭和50年であり、裁判時期が一致する。
なお、問題の新聞記事と判決文は被害者及びその父親の名前・年齢、出来事の日付、事故状況、事故現場などが一致している。
このように多数の状況が一致するため、これらの新聞記事・判決文は日垣氏の弟についてのものである可能性が高いと考えられる。しかしその場合、『「日垣隆氏による弟についての記述」への疑問』で挙げた問題点に加え、さらなる問題点がある。
(『問題の新聞記事・判決文を踏まえた日垣隆氏による記述へのさらなる疑問』に続く)
参考資料
【連載ゼロ】日垣隆★95【54歳無職】
http://logsoku.com/thread/uni.2ch.net/ebooks/1345428338/125-